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澱みなく。

今回のヘドウィグについて、疲れたけど眠れないので少しだけ。

情報が溢れている。
こうやって今さっき書いた事も情報だし、個別な事、たとえば
「男」とか「女」とか「異性愛者」とか「同性愛者」とかも
情報になると思います。
もっと大まかだと「感情」も自分に与えられた情報ですね。
私はそう思います。

そしてまだ自分の中で浄化出来るぐらいの些細なものだと
いいのだけど積み重なって積み重なって澱みとなると
それが歪みになってしまうんじゃないでしょうか。

比較が嫌いで、比較して批評するというのは意味の無い事
と私は思うのですが、あえて。

以前は「誕生から再生」と書きました。
今回は他の方の言葉を借りますが再生ではなく「浄化」だと、
それが一番ピッタリ来ると思うのです。
以前のヘドウィグは自分で破壊できる力を作り、そして
元の自分に再生できる事が出来た。

今回のヘドウィグは様々な「情報」に囚われすぎて自分自身の中に
澱みが出来てしまった。
澱みの為に歪みが出来てそれが壁となった。

だけど一つ一つ客に語りかけるように自分自身に「話す」ことに
よって情報は整理されていった。
整理されるともに自身を浄化する力も付いていったんじゃないかと。

一見自分を壊したと思われる行動は実は浄化の切欠ではなく仕上げ。
切欠は別にあったんじゃないかと。

何故こんな事を書いたのか。
今回の芝居の中である行動を起こすタイミングに違和感を持っていた。
ふと上記の事を考えていくとそのタイミングが
「切欠」だったからその時行われたのだと。
そしてそのものが「壁」であり「歪み」であり「澱み」
だったからこそ。
彼は浄化できたのだと。
そしてどんな「情報」にも澱みなく生きていくのだろう。
だからあんなに静かで美しいのだと。

ふとそんなことを思ってみた。
酔ってます?ええ自分にね。

(2月19日追記)
…と書いたけど夜中に書いてるんで何言ってんだか解らんね(笑)
下にネタバレを含みながらだらだらと書いています。
初めになぜ「情報」と書いたのは、どうもパンフレットを
読んでいるとこの作品の演出家が「情報」に対しての考えを
お持ちの様で。
で、それがこの作品の影の「核」なのかなと思いました。

例えば上に書いた「切欠」のタイミングってウィッグを
はずすタイミングの事なのですが、初め映画や前回の公演を
観てるとヘドウィグが壊れて自分の衣装やなどを引き裂いていく
「EXQISITE CORPSE」の曲で行うのですが、今回はその前
「LONG GRIFT」を歌う前にばっさり取ってしまった。
初め見たときなんでこの時取るのかなってびっくりして
思わずアンケートに「おかしくない?」書いたくらい。

だけどじっくり考えるとその時に外してもおかしくない。
上に書いた「切欠」になったのではと思ったのです。
その時に思いました、フラットな状態で観に行っていると自分では
思っていても概念でガチガチに固まって構えて観ていたのだなと。

自分の中で作品に対して出来てしまった概念=情報に
とらわれない様に観ていく。
自分が感じた事、心のままに物事をみる。
そうすれば違った世界が見えてくる。
まるで壊れる事がないように思えた大きな壁が壊れ
新しい風に浄化されるように。
ヘドウィグがそうしたように見る側もそのような気持ちで
望んで欲しかったのかと。

なのでなるべく概念の元となる情報も少なくしようと
英詩のまま、ほとんどの曲は翻訳の紙もなしにしたのかと。

…だけどそれだとやっぱり少なすぎるんだよう、
初めての人には(笑)
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